摩擦が低い表面や界面には共通する特徴があります。そのカギを握るのが、固体間にある柔らかい層です。硬質金属の上の柔らかい金属薄膜、固体表面のわずかな汚れ、表面に吸着した単分子膜、荷重を支えることが出来る流体膜などです。これらの構造を実現することで、摩擦係数を低下させることが可能になります。
金属間の摩擦係数
摩擦係数を測定するとき、表面の多少の汚れや、温度や湿度、振動のレベル、測定方法などによって、結果が大きく影響を受けます。したがって、異なる人が測定すれば、試験片の準備や測定環境が異なるため、単純に摩擦係数の大小を比較することは難しくなります。
「加藤孝久・益子正文 トライボロジーの基礎(培風館)」には、ラビノビッツが測定した静止摩擦係数の値が紹介されています(表1)。クーロンの摩擦法則で、摩擦力は真実接触面積に作用することを説明しました。したがって、硬い金属と柔らかい金属では、真実接触面積に大きな差があります。表1の金属の硬さを調べると、最も柔らかいのはインジウム(In)の0.9HB、最も硬いのはタングステン(W)の360HVです。したがって、硬さの比は100倍以上になります。しかし、この表の中で摩擦係数の比は、最大で4倍ほどです。
表1 金属の摩擦係数
摩擦係数に大差がない理由
平面同士が接触しているように見えるときでも、「クーロンの摩擦法則」で説明したように、金属の表面には凹凸があります。例えば図1のように上にある金属が非常に硬く、表面粗さの突起が相手の金属表面に表面に押し込まれる状態を考えます。(1)相手の金属が硬いと、突起の食い込みは浅く面積も小さくなります。(2)相手の金属が柔らかいと、突起は深く入り込み接触面積が大きくなります。次に、突起が食い込みながら、それぞれの金属の上を滑る状況を考えてみます。前者の場合は、小さい接触面積の割には滑る時の抵抗は大きく、後者の場合は広い接触面積の割には滑る時の抵抗は小さくなります。したがって、
(1)相手の基板が硬い時の摩擦力:接触面積小 × 単位面積当たりの変形抵抗大 (図1)
(2)相手の基板が柔らかい時の摩擦力:接触面積大 × 単位面積当たりの変形抵抗小 (図2)
となり、塑性変形を考えるならば、摩擦力は金属の硬さの影響を受けないことになります。実際の表面では、表面が酸化していて硬さが深さ方向に変化していたり、接触面で滑ったりします。また、弾性変形の影響もあるので、状況は異なりますが、硬さと塑性変形から考えると、材料によって摩擦係数がそれほど大きく異ならない理由を理解しやすくなります。
図1 「(1) 硬い基板が荷重を支える」とき、接触面積は小さく、すべらせた時の単位面積当たりの変形抵抗は大きくなる
図2 「(2) 柔らかい基板が荷重を支える」とき、接触面積は大きく、すべらせた時の単位面積当たりの変形抵抗は小さくなる
摩擦が低くなる構造
柔らかい金属を「薄く」付けた硬い基板に、非常に硬い突起を押し込んだとき、塑性変形による接触面積の大きさはどうなるでしょうか?少なくとも、硬い金属が大きく変形することは無いので、柔らかい金属の厚さが薄ければ、接触面積の大きさは硬い金属の基板とほとんど同じかわずかに大きい程度でしょう。このとき、柔らかい金属が突起の下から、完全に押し出されるか、あるいは残っているかが、摩擦にとって重要になります。もし手元に歯磨き粉があれば、それを滑らかな板(机の上にポテチの袋を置いてもOK)に1cmほど出して、指で強く押さえつけて下さい。歯磨き粉は指の下から完全になくならず、わずかに薄く残っていることでしょう。これは薄い金属膜でも同様で、突起の下から完全に押し出されることはありません。この状態で突起を滑らせようとすると、柔らかい金属の中だけで塑性変形が生じます。一方、荷重は硬い金属が支えているので、接触面積は小さいままです。したがって、
(3)硬い基板上の柔らかい金属の摩擦力:接触面積小 × 単位面積当たりの変形抵抗小
となり、摩擦係数を低くすることができます(図3)。
このとき、基板の硬さが硬いほど接触面積が小さく、薄い柔らかい金属薄膜が柔らかいほど単位面積当たりの変形抵抗が小さくなるので、摩擦係数は薄膜と基板の硬さの比が大きい程低くなることが予想されます。図4はラビノビッツとテイバーがの実験結果をまとめたものです。基板の硬さ(Hs)と薄膜の硬さ(Hf)比が大きく異なるほど(Hs/Hfが小さくなるほど)摩擦係数が低下する傾向が示されています。実際にこの仕組みを利用した例として、機械の中では、例えば真空中で回転させる転がり軸受で、銀の薄い膜が表面にコーティングされているものがあります。身の周りでは、襖が滑りにくい時にロウを塗ることがあり、これは、「硬い基板の上に薄い柔らかい膜」の原理を利用しています。
図3 摩擦が低くなる構造
「(3) 硬い基板上に柔らかい金属が薄く付いているとき」は、硬い基板が荷重を支えるため接触面積が小さく、金属膜が滑りのときに変形抵抗を生じる。
図4 ラビノビッツとテイバーの測定結果(ぞれぞれ、○と●)を直線で近似すると実線のように、硬さの比が大きくなるほど摩擦係数が低下する傾向を示す。しかし、せん断強さが硬さの1/4と仮定したときは、0.25xHf/Hsで摩擦係数が与えられることになるが(濃い赤の点線)、実際に測定された摩擦係数はそれよりも大きい。せん断強さと硬さが同じだと仮定しても(Hf/Hs、薄い赤の点線)、やはり実際にそくていされた摩擦係数とは大きな差がある。
単分子膜による摩擦低減
わずかに表面が汚れているときの方が、清浄な表面よりも摩擦が低くなる傾向があります。その理由として、汚れの薄い膜が、上で説明したような薄い金属膜の役割を果たしていると考えることもできます。そのように見なせば、「硬い材料の上に柔らかく薄い膜が形成されている」状態になっており、摩擦が低くなる条件が成立していることになります。
ところで、少し汚れている表面の摩擦係数は0.3程度ですが、分子の種類によっては、0.1を切る摩擦係数になるときもあります。このような場合には、表面に付着している分子の性質が影響していることがあります。これについて、簡単に説明します。分子をパチンコ玉としたときに、1層だけすき間無く表面に並べた状態が単分子膜です。摩擦を低くする分子は、パチンコ玉よりもマッチ棒のような形をしており、そのマッチ棒が同じ向きに、「立って」表面に並んで単分子膜を形成します。このとき、長い分子からなる膜の方が、短い分子の膜よりも硬くなり、上から荷重が加えられたときに表面粗さの突起をより少ない面積(分子)で支えることができます。すなわち、真実接触面積は分子の長さが長くなるほど小さくなります。そこで、分子の長さと摩擦係数の関係を見てみると、長い分子の方が摩擦係数が低くなる傾向が見られます。
ところで、単分子膜が付いた方が、分子の付いていないときよりも、真実接触面積は大きくなるはずですが、それでも単分子膜がついた方が、摩擦係数はぐっと低くなります。これについては、原子同士の相互作用(摩擦力が作用する距離に関する補足説明)を元に説明することができます。
流体潤滑の理解(そのうち執筆予定)
荷重を支える圧力、せん断に対する粘性抵抗、それぞれの比較という観点から考えます。