マイクロトライボロジーとは

 
 

平らな道で自転車をこぐことを想像してください.走り出そうとするときに,早く加速しようとするとそれだけ強ペダルをこぐ必要があります.しかし,いったん走り出してしまえば,あまり力を加えなくても自転車は同じスピードで走り続けます.これは「慣性力」と呼ばれ,重さのある物体が,その運動(止まってい場合はその止まっている状態)を続けようとするために働く力です.慣性力は物体の重さ(正確には質量)に比例し,物体が重くなるほど大きくなります.

 では物体の大きさが小さくなったとき,この慣性力はどうなるでしょうか? 図1は物体の大きさが1/100になったとき,体積がどう変化するかを表しています.体積は寸法の3乗に比例して小さくなるので,体積および重さは1/1000000になります.したがって,重さにに比例する慣性力はグッと小さくなることが解ります.

 次に表面積について考えてみます.表面積は寸法の2乗に比例して小さくなるため,寸法が1/100になったとき,表面積は1/10000にしかなりません.したがって,体積に対する表面積の比は100倍になります.このように,物体の大きさが小さくなるほど,体積に対する表面積の比が大きくなっていくことがわかります.

 ところで,接触している物の間には,お互いの物体をくっつけておこうとする力(凝着力)が働いています.たとえば,雨の日にベタベタするように感じるのはこの力のためです.また,折れたシャープペンの芯やホチキスの針をつかもうとしたとき,指を押しつけ指の先に付けて拾うことは無意識のうちにやっているのではないでしょうか.このような力は接触面積に比例します.

 物体の寸法が小さくなると,重さや慣性力が極端に小さくなるので,面積に比例する凝着力の影響が顕著になります.したがって,小さな物体の運動を考えるときには,凝着力の働きを理解することが重要になります.マイクロトライボロジーの研究では,凝着力の効果を考えながら,微視的な視点から摩擦の本質にせまろうとしています.



図1 物体が小さくなったときの体積と表面積


 

小さいと何が違うの

 雨が降っている時にベタベタすることや,シャープペンの芯を指に付けようとしたときに指先に唾を付けたりすることから,水分が凝着力に関係していることが想像できます.しかし,濡れているように見えなくても,狭い隙間には空気中の水蒸気が集まり,そこで小さな水滴を作ります.

 「表面張力」という言葉を聞いたことがあるでしょうか.小さな水滴が丸くなろうとする力が表面張力です.ガラスのコップに入れた水が,ガラスの壁に引っ張られるように壁沿いに上っていくのも表面張力の働きによるものです.

 狭い隙間にできた目に見えない水滴でも,その表面には表面張力が働きます.この表面張力が,水滴が触れている物体の表面を引っ張り,物体をくっつけようとします.このような水滴はとても小さいのですが,物体の寸法が小さくなったときには,そこで働く力の大きさが,慣性力や重さと比較して無視できなくなります.

 話はやや難しくなりますが,実際には,水滴の内部にはラプラス圧力と呼ばれる圧力が働きます.丸い水滴では周囲よりも圧力が高く,隙間にできるような表面がくぼんだ形の水滴では周囲よりも圧力が低くなります.凝着力に対する圧力の効果は表面張力の影響よりも大きくなります.たとえば,隙間が2μmの平面の間に,直径10μmの水滴が挟まれたとき,ラプラス圧力の影響は表面張力の直接的な影響の3倍程度ですが,水滴の直径が100μmになると,ラプラス圧力の影響は50倍程度になり,隙間が小さくなるとラプラス圧力の効果はさらに大きくなっていきます.

 水が全く存在していなくても, 物体の間には,ファンデルワールス力が働くことが知られています.また,電気を通しにくい物質が乾燥した状態におかれている時には,静電気力が働くことがあります.空気が乾燥しているとき(冬場など)プラスチックの下敷きで,髪の毛をこすって立たせたことは,だれでも経験したことがあるのではないでしょうか.このような力も,水の表面張力(ラプラス圧力)を同様に,摩擦に影響を与える可能性があります.



図2 平らな面に挟まれた水滴の様子

 

物をくっつける凝着力

 クーロンの摩擦法則では,摩擦力が垂直荷重に比例する理由として,真実接触面積という概念を用いています.これは,接触しているように見えている面積(見かけの接触面積)のうちのごく一部が実際に接触していて,その面積が接触面に加えられる荷重に比例するというものです.摩擦力がその真実接触面積に比例するため,結果的に摩擦力が垂直荷重に比例することになります.

 図3(a)に示すように正の垂直荷重が接触面に加わる場合,摩擦力に影響を与える真実接触部(
)と,凝着力が作用する部分(
)が混在していると考えられます.このとき真実接触部の面積は外から加えられる垂直荷重と,表面間に働く凝着力の和によって決まります.この状態から表面が離れる直前まで垂直荷重を減らすと、表面間の平均距離は多少広がりますが,凝着力が作用する距離は大きいのでその影響は小さく,凝着力が作用する面積はほとんど変化しません.しかし,垂直荷重が負になるため垂直荷重と凝着力の和が0に近づき,それに比例した真実接触部の面積はほとんど0になります(図3(b)).

 したがって,荷重を変化させても,接触面には常に一定の凝着力が作用しします.この凝着力は,外から与えられる荷重と同様に摩擦力に対して作用するため,結果的に摩擦力は垂直荷重と凝着力の和に比例します.

 接触面に作用する凝着力を簡単に知るには,接触している面を引き離す力(引き離し力)を測定する方法があります.非常に弱い力でくっついているので,離すときにはゆっくりと揺らさないように物体を動かす必要があります.

 ある荷重を設定して,シリコンの板の上で金属のピンを滑らせて摩擦力を測定し,併せて引き離し力を測定します.設定荷重をいろいろ変えて,摩擦力と引き離し力の測定を繰り返します.横軸に,設定荷重とそのときに測定された引き離し力の和,縦軸に摩擦力をとって,両者の関係を調べたところ,図4のようになりました.同じグラフの中に,横軸を設定荷重のみにして摩擦力をプロットした結果も併せて示してあります.摩擦力が,荷重ではなく,荷重と引き離し力の和に比例していることがよくわかります.



(a) 垂直荷重 >0


(b) 凝着力+垂直荷重 ~0

図3 摩擦力に影響を与える面積と凝着力が作用する面積の比較



図4 摩擦力と垂直荷重(+引き離し力)の関係

 

摩擦力と凝着力の関係

 私たちも,ふだん意識しないところで,ものとものがくっつく力を利用しています.上で取り上げたシャープペンの芯を掴むときなど,小さなものを指に付けるときや,本のページをめくるときに,指に唾を付けて濡らします.シャープペンの芯の場合は凝着力の直接的な効果を利用していますし,ページの場合は凝着力の効果だけでなく,粘性による摩擦力の増加も利用していると思われます.食品を包むラップがお皿にぴったりとくっつくのも,凝着力が寄与していると思われます.

 サイズが小さくなることで,表面の影響が大きくなることを最初に図1で説明しましたが,この効果を上手に生かしているのが昆虫です.空を飛べることにもサイズが小さいことが役立っていますが,ハエや蚊,蟻などが垂直な壁やガラスに簡単にとまったり,その上を歩いたりできるのは,足とガラスとの間の凝着力をうまく利用しているからです.

 身の回りの機器の中では,凝着力はじゃまになることが多いようです.たとえば,ビデオデッキで結露が生じることを防止するため,寒い場所から暖かい部屋に移動したときなどに,電源を入れてしばらく待つように取扱説明書に書いてあります.これは,テープとヘッドの間に結露が生じて凝着するのを防ぐためと考えられます.また,ビデオテープではテープとヘッドの間で働く凝着力で摩擦力が大きくならないように,テープの表面に小さなでこぼこを付けています.一方,コンピュータのハードディスクでは,信号の読み書きを行う磁気ヘッドが信号を記録するディスクにくっついてしまうことがたびたび問題になります.磁気ディスクで生じるこの現象は「スティクション」と呼ばれ,これを避けるためにいろいろな対策が行われています.

 最近,マイクロマシンと呼ばれる小さな機械を作る研究が活発に行われています.このマイクロマシンも身の回りで見られる機器に使われるようになってきました.自動車のナビゲーションシステム,エアバッグを膨らませるため,ビデオカメラの手ぶれ防止などに利用されており,最近ではプロジェクタなどでも使われ始めています.ところが,実用化されているマイクロマシンには,摩擦部分が含まれていません.これは,小さな機構では,凝着力のために滑り運動が不利になるからです.今後,マイクロマシンの技術を有効に使って行けるようにするためには,凝着力の問題を含めたマイクロトライボロジーの課題を一つずつ解決していく必要があります.


 なお,このHPで紹介した内容は,マイクロトライボロジーの一つの面を表しているに過ぎません.研究者,または現象や問題にアプローチする立場の違いによって,様々な「マイクロトライボロジー」があります.

どこでこの現象が見られるの

 「マイクロトライボロジー入門」が2009年に米田出版より発刊されました。1章では、ツルツルの面で、アリがなぜ滑らないかについてやさしく説明をして、興味深く読み進められるように配慮しています。主な項目は下記のようになります。

第1章 マイクロトライボロジーの世界
微小化が開くマイクロトライボロジーへの扉/マイクロトライボロジーの技術/マイクロトライボロジーとは何か

第2章 凝着力が摩擦に与える影響-修正される摩擦法則-
凝着説による摩擦の解釈とその矛盾/低荷重の摩擦で顕在化する凝着力/摩擦力から推定する凝着力/荷重がゼロのときの摩擦力

第3章 凝着力とは何か-小さな水の大きな力-
凝着力の正体/ラプラス圧力の作用/凝着力はコントロールできる/摩擦面に作用する凝着力とその大きさ/真空中の凝着力

第4章 摩擦力はどこまで小さくなるか-乾燥摩擦の極限-
超潤滑と超低摩擦現象/「乾燥摩擦」でも存在する粘性抵抗/真空中の微小荷重下での摩擦/固体接触による摩擦力を切り分ける

第5章 ナノトライボロジー-原子や分子の相互作用が現れるとき-
マイクロからナノトライボロジーへ/単分子膜の摩擦特性/原子的に平滑な面に作用する力/ナノスケールの接触面積に作用する力/ナノからマクロへ

第6章 ミクロな視点から捉えた摩耗現象-摩耗を利用した加工と摩耗を支配する力-
AFMを用いた摩耗試験方法/AFMを用いた微細加工/ミクロな領域の摩耗形態/摩耗と摩擦力の複雑な関係/原子間相互作用で考える摩耗

第7章 微小な摩擦力を測る技術-高感度な力測定を目指して-
力の検出方法の比較/原子間力顕微鏡(AFM)の活用/多様なマイクロトライボロジー測定装置/自分で設計するマイクロトライボロジーテスター

 


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